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  その後も大学生・職業人として12年間は中南米世界やアルゼンチンにまったく縁のない生活が続きましたが、やはりJazz
世界の目利きはアストル・ピアソラさんを引っ張り出してきました。それが、キップ・ハンラハンという米国人が主催するAmerican
Claveというレコード会社の製作した一連のシリーズであり、Tangoファン以外も注目することになった作品Tango Zero Hour
1986)です。このレコードを買ったのも、一人のJazzファンとして、Jazzの聖地NYでどんな動きが起きているのか関心があ
ったゆえでした。
  追って新聞記事でピアソラさんが1992年に亡くなったことを知り、
1982年のNHKホールでの濃密な演奏振りを思い出していたりしまし
た。そのころ、ピアソラ先生との競演歴(Montreux FestivalのCD)があ
るJazzのゲイリー・バートンさん(Vibraphone)が、東京は青山のBlue
Note(以前の骨董通りにあった頃)に出演、弟子格の小曽根真さん
(ピアノ)とデュオで出演された際に聴きに行き、演奏後のバーで、生
前のピアソラ先生の思い出を語ってくれたのを今でも覚えています。
 
  その後、映画「12 Monkeys」(1995、主演ブルース・ウィルス、助
演ブラッド・ピット)で大々的にピアソラ先生のバンドネオン演奏が取り入
れられたのを気にしたりしていましたが、タンゴの記事を目にす
るのは時折購入する「Latina」という月刊誌のみという状況で
した。既にJICAに入って中南米を指向していましたが、中
南米といえばブラジルのMPB/サンバ/ボサノバ、中米・カリブのサルサだ
と思い込んでいた私には、そもそもピアソラ先生の音楽はタンゴだ
という意識は無く、当時ベルギーのレーベルで出ていた
Astor Piazzolla In Concert(現在はMilanというレーベル
からAdios Nonino El Concierto de Lugano Interpretado por
el Quinteto de Astor Piazzolla(1983のタイトルで再発中)
              Tango Zero Hour