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  本文は、まうりしおN様にお願いし、寄稿していただいたものです。

天使と悪魔の住む街ブエノスアイレスの心でありつづける
「アストル・ピアソラ」

                                                                                                                           まうりしおN

前号のE理事の「中南米音楽あれこれ 〜World Musicの誘い〜」で、Quarteto em Cy「サンバカンソンのアンソロジー」、ジャンゴ・
ラインハルトといった胸に突き刺さる数々のフレーズに刺激されて重い腰を上げて出てまいりました。ちなみに私は音楽のジャン
ルとしてのTangoそのものはそれほど興味があるというわけではないのですが、作曲家・演奏家 アストル・ピアソラAstor
Piazzollaさん(1921-1992)には、限りない敬意と愛情を抱いておりますので、この場を借りて表明させていただこうかと考
えた次第です。そして、演奏や作曲も含めてピアソラ先生の音楽が何故にとてつもなく「ブエノスアイレス」的であるか、考えてみ
ました。

 アストル・ピアソラさんの経歴や作品については日本語でも多くの紹介Webサイトがありますし、一般的な話をしてもあまり面白
くないので、ごく個人的な、Tangoマニアでない音楽好みから見たピアソラさんを語らせていただきます。ピアソラ先生の音楽に
始めて接したのは1980年代、私はJazz好きな一人の都立高校生でした。ブラスバンド部に入って金管楽器を始めたものの
、クラッシック曲を管楽器演奏に編曲しなおした演奏曲につまらなさを感じた当時の私は部活をやめて、Jazzの「どす黒い」
情念の世界に引き込まれていました。
 
  その当時は吉祥寺や国分寺、下北沢のJazz喫茶(いまや死語?)や新宿Pit Innや国立Milky Wayに出入りしていたので
すが、ある日やはり同じ「情念」を抱えていたらしい当時の友人に「NHKホールで良いコンサートがあるので行ってみない
か?」と誘われた11月のある日、そこで出会ったのがアストル・ピアソラさんの五重奏団でした。当時から、Jazzファンの間で
は、アストル・ピアソラさんの名前はブラジルのEgberto Gismontiさんとともに「Jazzの周辺音楽作曲家」という感じで受け止めら
れていましたが、Blue NoteやCBSで録音される正統派Jazzファンにはまったく相手にもされていない、といった感じでし
た。

 
 当日の曲目はあまりよく覚えていないのですが、藤沢嵐子さんという日本人のタンゴ歌手の方がジョイントしていました。そ

の紹介でピアソラさんが彼女をべた褒めされていたようなのですが、シドニーから帰国して3年、当時中南米世界に縁のない
私にはポルテーニョ(正確にはマルプラテンセ)のスペイン語はチンプンカンプン、当時18歳の私は将来中南米世界にも、よもやブエノス
アイレスに住むことになるとも夢想すらしていなかったわけですから人生とは不思議なものです。自分の誕生日の翌日だっ
たので季節もよく覚えています。