Inicio2          テニス・アルヘンティーノ、アルゼンチン軍団の行方  (3/8)       マウリシオN氏
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  ビラスさんの選手通算成績はシングルス自己最高ランキング2位、ATPツアー でシングルス62勝、ダブルス15勝を挙
げていますが、その頂点は1977年の全米選手権と全仏選手権、1978-1979年の全豪選手権(連勝)の優勝でしょう。一方
で、1975、1978年の全仏決勝ではビヨン・ボルグに立て続けに敗れ、1981年の全仏決勝で対戦したマッツ・ビランデルに17
歳7ヶ月という最年少優勝記録を打ち立てられてしまいました。
   結局、ボルグやコナーズの厚い壁に阻まれ、南米の男子選手として初めて世界ランキング1位になることはできなかった
のですが、1997年の全米選手権(この年はクレーコート開催)では下馬評で圧倒的に優勢だったジミー・コナーズを2-6 6-3
7-5 6-0のスコアで撃破した英雄伝も持っています。
  特に、ギジェルモ・ビラスさんの赤土・クレーコートでの活躍は目覚しく、1977年に、このサーフェスでは1年間で53連勝と
いう大記録を打ち立てました。これは、今年スペインのラファエル・ナダルが(2年間かけて)56連勝という記録を今年打ち
立てるまで30年以上破られない大記録でした。また、ビラスさんは芝やハードコートを含めた全タイプのコートでの連勝記録
46を保有しており、これは未だ誰にも破られていないそうです。
  
   このビラスさんは引退後も精神的な指導者としてアルゼンチン国内で有望なジュニア選手を勇気付け、今日のアルゼンチ
ン・テニスの隆盛に貢献したとされています。特に、ギジェルモ・コリア選手の名前は、両親がビラスさんにちなんで名づけ
たそうです。また、無名時代のナルバンディアン選手やコリア選手が首都に会いにいっても、子ども扱いせずきちんとスポ
ーツ選手として対応し励ましてくれたという逸話が残っています。
    <アルゼンチン人テニス選手の特徴>
   アルゼンチンでもテニスコートはPolvo de Ladrillo、いわゆる赤土のサーフェスが大半ですので、必然的に玉足は遅くラ
リーが長く続くためベースラインで辛抱強く打ち合うプレーヤーが多いです。1ポイントをとるために20回ラリーを続けること
も珍しくないです。 通常、赤土コートに強い選手は、ストロークのスイングが大きくトップスピン(スライス などアンダースピンの逆
方向回転)を多用します。
   これはバウンドが遅い赤土コートに向いたプレースタイルなのですが、もっと玉足が速い芝やハード゙コート(セメントや専
用カーペット)では大きなスイングは相手の球速に出遅れてしまい、あまり向いていません。コンパクトなスイングが必要に
なります。特に、芝のコートは大会が進むと表面が荒れてきてデコボコになりイレギュラーバウンドが多くなります。すなわ
ち、何十回もベースラインで辛抱強くラリーするよりも、強烈なサービスを入れて弱く返ってきたリターンをボレーで決めるの
が効率の良いプレースタイルということになります。また玉のバウンドを一層低くすることで相手のミスを誘いやすくなるた
め、スライスなどアンダースピンの技術が必要とされます。                                      (次頁へ)