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確かにピアソラ先生の音楽のテーマにはタンゴが得意としている男女の恋愛感情の縺れとか裏切り、望郷みたいなものが少ない(「ない」じゃなく、「少ない」ですよ)。作品曲のタイトルは、ブエノスアイレスの春夏秋冬、鮫Escualo(鮫釣りが趣味だったらしい)、天使の死、天使のミロンガ、悪魔憑き、ルンファルド、螺旋。しかも作風は対位法・不協和音(その後、和音に戻す)を意図的に導入しているのですから、従来のタンゴとは似ても 似つかぬ作風です。さらに特徴的なことは、1曲1曲が長い(通常レコード録音のタンゴは長くて1曲5分程度?)。

Adios Nonino El Concierto de Lugano Interpretado por el Quinteto de Astor Piazzolla(1983)のライナーノートに掲載されているインタビュー記事(スペイン語)によると、ピアソラ先生は若い頃は従来型のタンゴのバンドネオン演奏家でアニバル・トロイロ楽団に所属していましたが、クラシックの作曲家になるため1950年代にフランスに留学し高名な音楽教育者ナディア・ブーランジェの門を叩きました。

ナディア・ブーランジェは、アーロン・コープランドやレナード・バーンスタイン、フィリップ・グラス、ミシェル・ルグラン、キース・ジャレット、クインシー・ジョーンズを育てた才人として知られています。ブーランジェの元で音楽理論を学びなおし、クラシック作品をいくつも書くのですが「個性がない」と一蹴されたそうです。そこで、一度は捨てたはずのタンゴを取り入れたオリジナル作品をブーランジェに見せたところ、「それこそ貴方自身がよく出ています」と褒められて、自信を深めて祖国に帰国したそうです。

(ちなみにブラジルの偉大な作曲家・演奏家Egberto Gismontiさんも時期は違えどナディア・ブーランジェに弟子入りしてクラシック作曲家を目指しましたが、ピアソラ先生同様に指摘されて、ブラジル人としてのアイデンティティに目覚め、帰国後奥地の原住民と生活してアマゾン感覚を養い、作曲・演奏に反映させていった、と言われています。)

そこから、ピアソラ先生の孤独な旅が始まりました(20 años de Soledad”というタイトルの曲があるぐらい、、、)。何しろ踊るための音楽ではないので、旧来のタンゴ演奏家やタンゴ愛好家からは嫌われたわけです。1960年に組んだニュータンゴ五重奏団にはエレキギターまで入れてますからねえ。特に1969の五重奏団スタジオ録音盤Adios Nonino(次頁白黒の写真ジャケット)はピアソラ先生が世に真価を問うた素晴らしい内容ですが、当時としては(従来のタンゴ界に対する)相当挑戦的(desafiante)な作品だと、今聴いても感じます。その一方で、1970年以降はJazzバリトンサックスのジェリー・マリガンや冒頭のゲイリー・バートンとの共演などJazzフェスティバルへの出演が相次ぎました。